それでいいっしょ

ゲイHIPHOPライター鼎のブログ

昔からCDのブックレットを読むのが好きだった

 

CDのブックレットを読むのが好きだった。
主に洋楽を聴いて育ったんだけど、特にクレジットを眺めるのが好きだった。買ったばかりのCDを1曲目から再生して、クレジットのプロデューサーを見る。R&BもHIPHOPも大体プロデューサーでサウンドが決まってしまうんだけど、好みのプロデューサーがいないか探す瞬間がたまらなく好きだった。もし好きなプロデューサーがいれば、その曲をすぐに再生した。もちろんジャケットの中の写真を見るのも好きだったけど、時々SpecialThanksの欄を見て、mamだのdadだなんて言葉が並んでると凄くアメリカっぽさを感じた。

ライナーノーツも同様。日本盤限定のインタビューやらそのアーティストの背景やらアルバムの解説やら、文字で知りたい情報が入ってくるのが楽しかった。今から20年くらい前の話なんだけど、その頃は今みたいにMTVやインターネットもなかったからブラストやBMR以外の、唯一の情報源だった。それらを眺めながらアメリカの音楽シーンを夢見た。

あの時の少年はとっくのとうにおじさんだかおばさんだかになってしまい、気が付けば細々と音楽ライターのようなことをしている。HIPHOPもR&Bも今では日本人のアーティストが沢山増えて、大分聴くようになった。そして今はそういうものについてよく書いたりもしている。

 

そしてこの度、一人のラッパーのブックレット用のインタビューを担当しました。
MAKI DA SHITというラッパーなんだけど、彼の面白いところは現役のお医者さんでありながら、ラップをしているというところ。医学生としてお勉強をして研修医になるも、MCバトルでそれなりに実績を残しながら音源をリリースしてきた変り種。

 

 

自分は本業がイベント屋さんで副業がライターって感覚なんだけど、ちょうどコロナでイベント業が減ってしまって、「ライターやります!仕事ください!」って騒いでたら声を掛けてくれたの。良い人。

お医者になるために、そしてラッパーとして音源を出すために、努力をひたすら続けてきたマキダシ君。そんな彼がお医者になるにあたって一つの区切りとして今までの代表曲+新曲3曲を収録したアルバム『ネイキッドキメラBEST』。あっこゴリラちゃんやMC松島も参加してます。

 


これまでWEB媒体がメインだったからCDの制作に関与するということも自分にとっても初めてだったので楽しくやらせてもらいました。本人から言葉を引き出して、でも「ここはこう言いまわした方がもっと伝わりやすいんじゃないかな」なんて相談しながら作り上げたインタビューです。

どれも良い曲なんだけど、1曲1曲にそれぞれマキダシ君によって込められた想いがあって、それを知ると曲ももっと好きになると思う。今はサブスクが当たり前になってて、すぐに聴けちゃうっていう軽さも良いんだけど、曲を聴きながらじっとブックレットを眺めて色々想像してもらうという楽しみも知って欲しい。ブックレットを読んできた自分としてはそういうお仕事ができてとても嬉しかった。

というわけでMAKI DA SHITの『ネイキッドキメラBEST』が6/24より発売。タワレコなどにも置いてあります。良かったら買ってみてくださいね。

 

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MAKI DA SHIT / ネイキッドキメラBEST 2015-2020
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同窓会で同級生に「ぶっとばすよ」と言われた話

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twitterで反響があったので思い出話を。

先日、小学生の同級生とtwitterで思い出話に花を咲かせていたんだけど、ふと数年前の同窓会で同級生に開口一番「ぶっとばすよ」と言われたことを思い出してしまった。元々、中学時代から不仲だった男子で当時から聞こえるように悪口を言われたこともあった。

僕の地元は茨城の某県南エリアなんだけど、当時は万博で注目されたこともあって「東京から1時間のベッドタウン」として売り出された土地だった。もう40年近く前の話。でもいざ住んでみると都会みたいに開けた感じは全くなく、ローカル線を乗り継ぐ必要があって東京へのアクセスも悪い。田舎は結局田舎なんだよという諦めが蔓延ってた。それでも綺麗で新しいニュータウンがまた開発され、メディアでもたまにとりあげられて後から移住してくる人は絶えなかった。旧ニュータウン、新ニュータウン、そして地元の昔ながらの農村エリア、3層が住み分けられた複雑な構成をしていた街だった。

昔ながらの地元民、まだ価値観が新しい旧ニュータウン民、横浜だの東京だの辺りから一戸建てドリームを夢見て移ってきた新ニュータウン民の3層仕立て。僕の両親は二人とも茨城出身だけど、父親が海外(と言っても発展途上国)勤務、母親が東京勤務を経て結婚を機に茨城に戻り、旧ニュータウンの建売を買った組。うちの母親は家を買うタイミングを完全に間違えたと言いながら新ニュータウンにずっと憧れていた人だった。

目には見えないながらも生活や文化に違いは層ごとにあったと思う。ただ、今思うと根本的に親の世代の価値観は色々古かった。まず共働き家庭がなかった。まだ、バブルの残り香があってサラリーマンの所得が高かったのと、商業施設があまりにもなすぎて主婦のパートの場所がなかった。だから東京に出てきてびっくりしたのが共働き家庭の多さだった。それくらい田舎だった。

閉鎖的で新しい風が入ってこない土地だった。農村エリアの人達がもっていたマイルドヤンキー的な雰囲気や思考が子供時代から全体的に街を覆っていた気がする。新ニュータウン層の人達、特に子供らもそれに染まっていった。田舎すぎて悪いこともそれほどできないんだけど、だからといって教育水準が全体的に上がるってわけでもなかった。農村エリアの子たちは家を継ぐという意識が根底にあったんだよね、きっと。専業農家も兼業農家もいただろうし、もっともっと奥のエリアは未だに本家だ分家だってこだわってる土地もある。努力したって報われることはない、この世界から逃げられない。田舎特有の強い呪いがそこにあった。祖父母と住む三世帯や四世帯家族は珍しくなかった。その家庭像が刷り込まれた子も多かった。

街の規模も小さいので学校も少なかった。幼稚園も小学校も中学校も学区内に1つずつしかないので基本的に同じ顔触れが自動的に持ち上がりとなる。地獄みたいなシステムだなって改めて思っちゃった。お山の大将マニュファクチュア。中学受験で逃げた子たちもまれにいたけど、正解だったと思う。
そんな閉鎖的なエリアで僕は浮いていた。なんたってオカマだもんなあ。奇しくも中学ではオカマ三人が集まってしまった。学校のどこのカーストにも所属できない別枠だった。オカマ以上でもオカマ以下でもなかった。
しかも中1の夏に親の趣味でロサンゼルスに家族旅行にいったおかけで洋楽と洋ドラにかぶれたオカマ中学生。他のオカマもそんな感じだった。親が教育に熱心な人だったから塾にも通わされたし、茨城愛よりも東京への憧れを親から間接的に植え付けられていたと思う。ああ、皆と分かり合えるはずもない。

そういえば高校時代に遊んでいた場所は茨城ではなくだった。今は電車事情も変わってしまったけど、遊び場として柏方面に行くか行かないかで当時の茨城の高校生の雰囲気も違ってたと思う。茨城の女子高校生は当時スカートの下にシャカパン穿いて、男子はブレザーの下にパーカーを着てなぜかキャップをかぶっていた。独特の進化を遂げた文化だった。学校帰りにせっせこ地元のラーメン屋でバイトして稼いでバイク買って友達と遊んでいた子達と、柏のセブンでバイトしながら二番街でボーリングしてゲーセンでプリクラ撮ってた子達は決定的に何かが違うと今改めて思う。

別に地元の全員と不仲だったわけじゃない。ギャル化した女子グループとは高校時代も仲がよかった。電車通学で一緒になって意気投合。いわゆる底辺高校に通っていた子達だけど見た目が派手で底抜けに明るかった。取手のファミレスに行ったりとか取手のマルエツでプリクラを撮ったりとか楽しかったな。進学校に進んでしまったばかりに落ちこぼれて欝々とした日を送っていたけど彼女たちにはとっても救われた。

ちなみに高校は中高一貫校の進学校だった。自分は高校からの入学組だったんだけど、中学から持ち上がってきた落ちこぼれのギャル達とも意気投合して遊んでいた。校則が厳しかったので前髪だけ金髪にして休日に派手なウィッグをかぶってまつ毛を盛って柏でプリクラを撮っていたギャルの子達はとてもいい子たちばっかりだった。おうちも松戸とか田端とか茨城県民からしたら都会の子達ばっかりだった。桜陰とか共立とかを目指して中学受験に失敗して入ってきた、根がお嬢様の子達。でもそういう子達が一度落ちこぼれると面白い事になる。登校前に駅の外れで彼女たちの前髪をスプレーで黒く染めてあげたのは良い思い出だ。

まあ、地元組にしても高校組にしても結局ギャルとしか遊んでなかった。そりゃ茨城のマイルドヤンキー予備軍とは仲良くなれないはずだ。ちなみに地元のギャルズは専門やら短大やらを卒業するころにはさっさと脱ギャルして就職し、そこで男の子達を見つけて結婚した。高校のギャルグループの中にはトンジョとかアオガクに行って脱ギャルしたバリキャリもいるけど、祖父母の死をきっかけに覚醒して医学部に入り直し、医者になった子もいる。人生いろいろだなあと思う。

うちの母親は自分が子供のころから「東京で就職しなさい」と呪詛のように唱えていた。「こんな土地はさっさと離れなさい」と心の声が聞こえてくるようだった。大学卒業後はフリーターしながら遊んでいて、ようやく25で就職したけど、母の教育の賜物か、東京を超えてアメリカで働くことになってしまった(ビザの関係で一年で帰国したけど)。その頃には地元とはギャルグループを除いてほとんど縁が切れてた。聞くところによると地元では「かなえ、アメリカいるらしいよ」という噂ばかり流れてたらしい。田舎は噂が流れるのも早い。

その後、帰国して東京に住んでいたのに行方不明説なども流れ始めたので30過ぎて思い切って本名でフェイスブックを始めた。ギャルグループとはすぐ繋がった。あとは人畜無害っぽい子達とも繋がった。それで現状が伝わったけど、フェイスブックはまあ盛るわな。東京の盛り場で遊んでる写真ばっかりあげてた。パリピそのもの。派手な生活を送ってるって印象を与えてしまったなと後から思うけど、だってオカマなんですもの。盛れるものはなんでも盛ってやらあ

だから地元の子達からしたら鼻についてたんだと思うよ。お勉強ができて、当時から海外旅行に行く珍しい層。しかもオカマ。進学校に行って芸術系だけど4大も出ててアメリカに住んだ後に東京に住んで遊んで暮らしてるって思われて。例えば地元の高校を中退して近所の工場でブラインドウとかを作ってデキ婚して、みたいな子達からしたら別世界の人間に思われてたんだろうな。

本当はそんなことないのにね。前職はブラックだったし、その頃のお給金だって皆の方がいいんじゃないかって感じ。ましてや当時はフリーで動いてて全然食えなくて飴玉工場でバイトして5kgの飴とか8時間積み上げてたしな。そりゃ今は兼業でライターやってます、HIPHOP大好きです!ってデカい顔してるかもしれんけど、それに東京っつったって足立区よ、足立区。都心の洒落た暮らしなんて夢のまた夢。あんまり大声じゃ言えないけど、もっとガラの多い人なんて大勢いるわ。でもそれがたのしくてしかたないんだけども。
隣の芝は青く見えたのかもね。僕だって好きな男子とデキ婚したいよ(違う

33歳のある日、同窓会のお知らせがフェイスブックで来たもんだから何の気無しに参加した。女の子たちとは思いの他盛り上がって思い出話に花を咲かせた。ヤンキー組でもちょっと盛り上がった男の子もいて、カミングアウトの上でインスタで繋がったりもした。皆、大人になってお互い丸くなってた。親になった人も多い。幼稚園から持ち上がりでずっと一緒だった子達。地獄みたいな腐れ縁だったけど、それも悪くはないなと初めて思えた。

だもんで、その流れで件の男の子とも挨拶をしたんだけども、いきなり「ぶっとばすよ」って言われてしまった。思わず笑いそうになった。よっぽど僕の事を嫌いなんだろうな。でもさ、今はお互い大人で、色んな経験をしているので。地元のコワモテの男の子がいくら凄んだところでなんも怖いことなんてなくて
「ちょっと待って。お互い33だよね、いくら嫌いでももっと違う対応あるよね?」と諭すように言ってしまったんだけど、まさか反論されるとは思ってなかったのか、黙って俯いてなんか考えていたようだった。たぶん、彼とは一生分かり合えない。彼のことは嫌いじゃないんだけどね、別に。
これが中学時代の出来事だったら、ものすごく傷ついたんだろうなって思う。人に嫌われるってキツいもの。でもね、どう立ち回ったって分かり合えない人がいるってのは散々経験してきたことだし、不毛なぶつかり合いを避ければ良いだけのことじゃない。表面上はうまくやるのが大人でしょって思っちゃう。

ちなみにそのまま解散となりまして、めでたしめでたしとはならず、地元の不良中年に駅で因縁をつけられた友達が見事に応戦し、警察沙汰になったのは別の機会にまた話そう。人が本気で人の首を絞めるのを初めて見てしまったんだけど、そっちの方がよっぽど衝撃的な体験だった。そういうのも茨城らしいエピソードでうっかり笑ってしまう。

実はだいぶ前に実家も茨城の、TXに伴う再開発エリアに引っ越してしまった。母親の長年の願いが叶った形になる。というわけで育った街に帰ることはほとんどない。皆にもばったり商業施設などで会う事もない。別に茨城が嫌いなわけじゃない。茨城にもゲイの友達がいて仲がいいし、たまに帰省のついでに会ったりもしている。

twitterで同窓会のことを思い出して、なんだかモヤモヤしたから書いてみたら長くなってしまった。しかも大して中身もない話で、田舎の悪口だけ。笑ってしまう。でも書いたらなんかすっきりした。あれ以来同窓会が開かれた気配はない。もしかして僕たちだけ呼ばれてないだけで開かれてるのかな。

でもこれだけは言える。私は今、足立区で様々なお友達に恵まれて幸せに生きています。地元の皆さんもお元気で。いつかもっとおじさんおばさんになったらまた会えたらいいなと思っている。その時もぶっとばすよっていわれたらどうしよう、なんちゃって。

 

 

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